外国語を学ぶということ
Bonsoir🍷
年末に向けて慌ただしくなってきましたね。
昨日触れたASDAの入り口のクリスマスツリー!
年末に何の関係もありませんが、今回はイギリスに留学して感じた「外国語を学ぶ難しさ」をお話ししようと思います。
結論
初っ端から結論。(結論とは)
私なりに出した答え。それは、
外国語を100%完璧に学ぶことは
不可能です。
しかしこれは、学ぶ意味がないということを言いたいのではありません。
言語とは
ご存知の通り、私は日本人です。
英語が好きとはいえ、両親も日本人、生まれも育ちも日本です。
日本ならではの慣習、生活様式、人生観、そして言葉に触れながら20年間生きてきました。
「言語」とは、その国の文化・歴史を含んで成り立っているものだと思ってます。今でも絶えず変わり続けている。
日本でも、若者言葉と形容されるように、その時代の中で流行る言葉がありますよね。私もときどき使うので、分かりみが深みです。
ひとくちに英語と言ったって、イギリスで生まれた英語、アメリカやオーストラリアに渡った英語、日本で育った英語、とその国に順応しながら変容してきました。
もちろんフランス語にはフランス語の、アラビア語にはアラビア語の歴史が詰まってる。
外国語を学ぶということ
もちろん日本人の私が、教科書や文法書を使ってフランス語を学ぶことはできます。
しかし、フランス語に染み付いている独自の文化・歴史を100%完璧に感じ取ることはできません。私は日本人で、日本で生まれ育ったからです。
外国語の詩などを和訳することはできますが、所詮「和訳」なのです。
その過程でちょっぴりニュアンスは変えられてしまいます。これは翻訳者の腕が悪いとかそういうことではなく「外国語を訳す」ということはそういうことなのです。
裏を返すと、外国人からみた日本語も同じということになります。
そう考えると、日本語独特の響き・美しさを100%感じ取ることができるネイティブ日本人に生まれてよかったなぁと思います。
まぁ、ヨーロッパの女の子みたいな顔に生まれたかったのは変わりませんが…
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外国語を習得するのは、こういったことも含め簡単なことではありませんが
だからこそ面白いともいえますね
目の色も骨格も違う外国人と 共通言語の英語で会話すると
意思疎通してることに対してなんだか不思議な気持ちになります
それでは、このへんで
Bon nuit!